日本には「風物詩」と呼ばれるものがたくさんあります。
その季節限定で行われる風物詩には日本人が趣深く感じる独特の「奥ゆかしさ」があるものです。
年越しに行われる「除夜の鐘」もその一つです。
除夜の鐘をきくと「ああこれで今年も終わるんだなぁ」と感じますよね。
しかし今そんな年越しの風物詩「除夜の鐘」が続々と中止になっているのです。
日本の伝統行事だけになくなることはないと思っていましたがその数は減りつつあるのでした。
一体なぜ除夜の鐘を行わない神社が増えて来ているのでしょうか?
その驚くべき理由は至ってシンプルなものでした。
それは除夜の鐘が「うるさい」から!
というのもどうやら近年除夜の鐘を鳴らすと、近隣住民から「こんな時間に大きな音を出すな」
といった内容のクレームが来るのだとか・・・
遂に日本も来るところまで来てしまったんだなと思いませんか?
除夜の鐘に対してうるさいとクレームをする時代が来るなんて・・・
何事に対してもクレームを入れてしまう世の中になっているのは本当に悲しい事です。
しかもどういうわけかクレームがどんどんと受け入れられていっているのです。
そんな社会に対してネット上では様々な意見が寄せられていました。
除夜の鐘はうるさいから中止。餅つきは不衛生だから禁止。校庭で遊ぶのも近所迷惑だから禁止。マイノリティクレーマーの意見で世の中を動かしていると、今に花火大会もクリスマスも中止になってしまう。
— 永山久徳 (@h_nagayama) 2016年12月4日
このままではどんな行動をするにも人の目を気にしながらやらなくてはいけなくなってしまいます。
最近では敷地内での挨拶を禁止したマンションなどHashでもご紹介しましたが
本当に住みづらい世の中になってきています。
周りの人間に対する配慮は必要不可欠なことですがそれは裏を返せばクレーマーにも言えることです。
自分の一言が多くの人の幸せや楽しみを奪うことだってあるということを肝に銘じておいて欲しいものです。
まさに日本文化の危機です。少数派(マイノリティ)の意見ではなく非常識の人間のクレームを聞かなければならないという今の社会の病です。今の日本は叱責されると正論を捻じ曲げても反論してもいいというおかしな風潮がまかり通っています。一つは行き過ぎた非暴力主義です。痛みを伴わなければ人は学習できないという当たり前の真理を屁理屈で捻じ曲げ、自己中心的な生き物である人間をさも神様のように本能的なものを生まれもった理性で共生できるという馬鹿な平和主義者の頓珍漢の理屈を現実に法律化してにっちもさっちも行かなくした事が根本的な間違いであると言えます。クレーマーの多くの理屈は自分の主張が間違えていても言い張ればだれからも痛みを受けないから平然と理屈をこね続ける。これは非暴力という正義を利用した言論の暴力であることは間違いありません。悪意のある暴力は誠意ある言論には効果がありますが、悪意のある言論には誠意ある言論は通じません。つまり悪意には悪意でしか抑える事が出来ない証拠でもあるのです。暴力はそれが正義のもとであるなら目をつむり次の平和に期待を持って繁栄の糧になるでしょうが、悪意ある言論や非道徳は目をつむってもいずれは抑えられないほどの大きな暴力につながっていくのが真理です。これにならないようにするには小さな暴力には目をつむる勇気がいるのです。自然をよく見ればわかります。人間が自己中心的な繁栄を繰り返してきた結果が温暖化であり、気候の異常変動への道になるのです。それは自然からの大規模な人類に対する暴力となるでしょう。こう考えても常識を理屈で自己中心的なわがままで通すことの危険が理解できると思うのです。