「生きてるだけで丸儲け」さんまさんのこの名言の裏側には、彼の壮絶な生い立ちがあった
明石家さんまさんと言えば、誰もが知っているお笑い芸人ですよね。プライベートでもいつも人を笑わせているというさんまさん。
そんなさんまさんの名言はご存知でしょうか?
生きてるだけで丸儲け
【明石家さんまの名言】・生きてるだけでまるもうけ。・いっぺん夢中で生きてみい。毎日が夢中や。・やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている。・不安からは何も生まれない。続ければ必ず良くなる。 pic.twitter.com/ZuoatI5R2k
— ようこそ、本当の心の癒しの場へ (@pipagyhagiq) 2017年1月7日
この、生きてるだけで丸儲けという名言の裏には、さんまさんの壮絶な過去が隠されていたのです。
◇実母はさんまが三歳のときに病死している。
◇(さんま兄が)小学校高学年の時に父が再婚、
さんまには年の離れた弟(故人)ができた。◇「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、
三枝(文枝)のラジオ『ヤングタウン』でね。
二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。
新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。
その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。
二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。
せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。
芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないと思います」◇継母はずっとさんまを完全無視してて、
まるでさんまがそこにいないかのように弟にばかり話しかける。
さんまはそれでも継母と仲良くしてもらおう、
反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考える。
そのウチ学校でもそのノリで暮らすようになって一躍人気者、
お笑いの道へ。◇さんまの弟(当時19歳)は火事が原因で亡くなっている
◇弟は実家の火災で亡くなった。
当時弟は高校生。さんまは冠番組を持つほど人気があった。
そしてさんまさんは自分の弟についてこんなコメントを残していたそうです。
◇「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、
素直に自分をさらけだせるやつでしたね。
ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、
国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、
今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」◇元妻 大竹しのぶの連れ子に気を使うさんま
◇継母の件があったから、
さんまは元妻大竹しのぶの連れ子ニチカをすごく可愛がっている。◇子供らに自分のことをボスと呼ばせてるのも
ニチカに対する気遣いらしい。◇家に帰ってくるとイマルより先にニチカに触っていた。
◇成長したニチカは慶應に進学。学生時代の友人と起業。
◇日本航空123便墜落事故でさんまは死んでいた?!
◇日本航空JAL123便墜落事故とは、
1985年8月12日に起きた単独機としては
世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故である。
その数は520名に及ぶ。
さんまは当日、東京のフジテレビで
「オレたちひょうきん族」の収録後、当便で大阪へ移動し、
毎日放送「ヤングタウン」に出演予定であった。
だがたまたま「ひょうきん」の収録が
予定よりも早く終わったために、123便をキャンセルし、ひとつ前のANA35便と推測される便で大阪に向かい難を逃れた。
さんまは事故当日の生放送の
ラジオレギュラー番組では言葉を失うほどのショックを受け、
番組をこの事故の報道特番に切り替えた。
さんまはこの事故をきっかけに、
新幹線で行ける範疇の場所(東京~大阪の往復など)へは
飛行機ではなく新幹線を利用するようになる。
さんまさんにはこんな壮絶な過去があったのですね。
「生きてるだけで丸儲け」
とても深く心に染みてきます。