片道切符の人間魚雷「回天」 命に何の価値も見出さないこの特攻作戦に”平和”の意味を考える

戦争という全人類にとって悲惨な運命をもたらした大惨事。
今を生きる我々はこの恐ろしさをほとんど知らないまま現代を生きています。
憲法改正などで揺れる日本に、いや日本人にはどうしても知っておいてほしいことがありました。

皆さんは「回天」という単語を知っているでしょうか?
それは太平洋戦争の際に使用された人間魚雷のことでおよそ70年前に
実戦に導入されたものでした。
終戦記念日にツイッターユーザーのkazusan(@kazusan41932975)が見学した「回天」に関してのツイート。
そこには戦争がいかに無意味で悲惨なものであったかを物語る事実が語られていました。

これは太平洋戦争が進んでいき日本軍が劣勢に陥った時に導入検討になったようです。
人間が一人だけ入れるスペースが作られており、そこに乗ったら最後敵の艦隊に直撃してその生涯に幕を閉じる
という文字通りの「片道切符」だったのでした。
一度出撃して生きて帰ってこれた人は一人もいません。

しかも回天に操縦士として乗ることは志願者が集まった段階では伝えられていなく
実際に人が集まってからこの片道切符の説明がなされたそうなのでした。
そしてこの回天に乗る際にはこんなセリフを言われたそうなのでした。


恐ろしい発想ですよね。
こんなのプレッシャーに負けて帰るなんて絶対に言える雰囲気じゃないでしょうし・・・
実質の死刑宣告のようなものですよね。

しかしこんなにも凄惨を極めた作戦はそのほとんどが失敗に終わったのでした。
実験段階でもかなりの死者を生んだこの回天はほぼ無駄になったのでした。
結局この作戦が開始させられてからの9カ月間で104人の犠牲者を出した回天が仕留めることができた
米軍艦隊はわずかに3隻だけという衝撃の結果に終わったのでした。
それでも日本軍は回天作戦が甚大な成果を上げたと捏造し国民からは称賛の声が寄せられたそうです。

当時の出撃までの日々を待っていた隊員の気持ちにはこう書かれていました。

何しろ次から次へと出撃していくと、飯食う人間が5人、6人と減っていく。そうすると飯食うのも侘しくなって、これは早く出ないと。悲しみとか死なんて、お互い語り合うこともない。これが当たり前だと受け入れていた

本当に悲惨な戦争。
こんな一部分だけをピックアップしただけでも
100人以上の未来ある命が消えて行きました。

実際に戦争を経験していない我々にはこれが少し前の日本で行われたいた事実だとは思えません。
その時に犠牲になった人がいま生きていたら・・自分がもしその時代に生きていたら・・・
そんなことを思うと心苦しくなります。
戦争に対しての耐性が失われつつある日本。
こんなことを繰り返さないためにもこんな事実があったことだけは肝に銘じておいてください。

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