君になり代わって2日間過ごして、わかったよ。
君の疲労の理由がわかった。
母親でいることは、ひたすら続く自己犠牲だってことがわかった。
それが大きな会社で10時間、財務の決定をするよりよっぽど大変なことだってわかった。
子どもと一緒にいるために、自分のキャリアや経済的自由を諦めることの挫折感がわかった。
経済的保証が自分ではなく、自分のパートナーに託されていることへの不安感がわかった。
君が夜に友だちと出かけたり、運動したり、ゆっくり寝ることを犠牲にしているのがわかった。
家に閉じ込もって子どもの世話をしながら、外の世界で起こっていることを見逃しているように感じるのが、どれほど辛いかがわかった。
僕の母が育児方法で君にとやかく言ってきたとき、君がなぜ怒っていたのかわかった。
子どもにとって何が一番いいのかわかってる人は、実の母親の他にはいないはずだ。母親でいることは、社会の最も大きな負荷を背負っているってことがわかった。でもその価値が認められ、報酬が出ることはない。
僕がこの手紙を君に書いているのは、ただ君がいなくて寂しいからだけじゃなくて、君にこれを伝えずにこれから一日たりとも生きられないと思ったからなんだ。
『君はとても勇敢で、とてつもないことをこなしている。僕は君のことを心から尊敬している』と。
この手紙を夫から受け取った妻は、そこで涙を流したそうです。
人は誰でも“自分がかわいい”もの。
「こんなにワタシ頑張ってるのに」「オレこんだけ苦労したのに」…そう思ったときこそ、
「自分も大変だったけど、相手も大変だったはずだよな…」と、少しでも相手の立場を思う気持ちを持てればいいですよね。
親子、兄弟、友人、恋人…いろんな関係を持つ中で、“これからは目の前の相手とちょっとだけ間をおいて話すようにしよう”。
このエピソードから、そう学ばせてもらったような気がします。
とても身に染みました。
相手を思いやって過ごしていければいいですね。
どうだろう。
自分も夫であり父親だけど、当たり前のことしか書いていない。
こういう記事を読まないと気がつけないとしたら、ちょっと未熟じゃないかと思う。
馬鹿馬鹿しい。
こういう記事が他方面で掃いて捨てるほど紹介されてるが、それが賞賛と共感を集めるのを見るたびにほとほと呆れる。
皆、なんでそんなに子育てが苦痛なの?
子育てが自己犠牲?てことは、裏を返せば、結局自分が一番可愛いということか?
所詮フィクションなんだろうけど、こういうの本気で書いたのならそれこそ未熟。母親もまた未熟。子供が本当に可哀想。
子供は何しても可愛いですよ。子供が小さいうちだけでも自分の欲なんか忘れて、生まれた日のことを日々思い出して、子供と楽しく過ごして下さい。
一日中一緒にいられる時期は、親が思ってるよりもずっと早く終わりますから。
と思う。
私はこの記事に対しては、「馬鹿馬鹿しい」とは思いませんでした。
それは、「男は外で仕事をするのが当たり前だ。女は家で子供を育て家事をこなすことが当たり前だ」と思っていた夫が「それは当たり前ではなく有り難いことだった」ということに気づき、
「子供を育てるのは自己犠牲だし、夫は妻の苦労に気づいていたわってくれるのは当たり前だ」と思っていた妻が「立場の違うものは相手の立場に立って考えないと気づき難いものだ」と気づいたからです。
そうして互いのことを「当たり前」のことではなく「有り難い」存在だと気づけたことが素晴らしいことだと思うから、バカバカしいとは思えません。
この記事を読んでこの夫婦が未熟だと感じた方は、子育てが楽しく素晴らしいと感じていらっしゃる人なのでしょうね。
その感覚はとても素敵だと思います。
けれど、そのご自分の感覚を万人に共通するべきだろう「当たり前」だと捉えてらっしゃるのでしょうね。
夜寝ない子供に対してイラつく感情は子供に対して愛情が足りないと考えてらっしゃるのでしょうね。
そんな感情を感じないでいられる環境を「有り難い」と思っていないので、共感できないのでしょう。
皆が皆、自分と同じ立場ではないことに気づけたなら、きっとこの夫の気づきを理解できると思うのですが。。
私は、とても良い記事だと思います。
当たり前はない。
過去を見つめ未来を前向きに進めたことはムダにはならない。
また壁にぶつかっても更に高い壁を越えることができるはず。
人はそれぞれ
当たり前はないからどんな形でも感謝を伝え合うことが必要なんだと思う。