「死ぬ暇なんてない」全てに貪欲な101歳の現役女性フォトグラファー・笹本恒子さんの生き方がカッコいい!

今年5月にWHO(世界保健機関)は、日本人が平均寿命世界一を更新し、今年も長寿世界一の座に輝いたと発表しました。医療の発達や食文化の変化により寿命が延び、生き生きと過ごす高齢者の方も多くなった日本では、こんな風に年を重ねたいと憧れちゃう素敵な方が沢山います。
そんな素敵な方の一人、なんと101歳のカッコイイ女性をご紹介します。

《101歳のカッコいいおばあちゃん》

笹本恒子さん、1914(大正3)年生まれの101歳。
日本最初の女性報道写真家であり、なんと今でも現役でご活躍されているフォトグラファーです。101歳になっても現役写真家として動き回ることができるそのパワーの秘密とは―。

いい言葉で言えば好奇心。怖いくせに行ってみたい、嫌だけど見たい。世の中を見つめて、少しでも知らない方に知ってもらいたいことを書き残して、写真で写しておいておきたい。

写真家としての原動力でもある「好奇心」が笹本さんのエンジンとなっているようです。
年齢を公表せずに仕事を続けていた笹本さんは、96歳の時に初めて年齢を明かしたそうです。それからというもの、周囲にびっくりされたと同時に沢山の取材や執筆依頼が殺到し大忙しの毎日になってしまったそうです。

《100歳でベストドレッサー賞を受賞》

100歳の時にベストドレッサー賞特別賞を受賞した笹本さん、もちろん史上最年長記録です。
『ファッションはお金ではなく”頭”をつかうもの』と語る笹本さんがお召しになっている洋服は、ほとんど自分で作ったものなのだそう。上の写真は100歳の時に『徹子の部屋』に出演された時のものですが、もちろんこのとき着ているワンピースも自分で作ったもの。なんともオシャレなおばあちゃん!
笹本流の洋服の作り方はとっても簡単。
気に入った布を半分に折って両端の部分を2点縫うだけ。あとは首や腕を出す部分を切って縫い付ける、たったこれだけでワンピースの出来上がり!大版のストールや男性物のマフラーなども、気に入った物ならちゃっちゃと縫って、オリジナルのワンピースに仕立ててしまう。

「お金をかけずに楽しむのが最高の贅沢」

「アクセサリーを選ぶのは頭の体操よ」

《元気の秘訣はお肉と1杯の赤ワイン》

ベストドレッサー賞の受賞式で、元気の秘訣はなにかと尋ねられた笹本さんは、
「3食しっかりいただくこと」、「私はそれ(菜食)に反して、若い頃から肉食です。そして主食はいただかないで、赤ワインをいただきます」と答えています。
子供の頃から両親に「食べるものが貧弱だと品性が悪くなる」、「おいしいものをちょうどいい量食べなさい」と教えられ育ったそう。
『おしゃれな人は、食べ物にかける分を節約して高いものを着ようとする人が多いけれど、それは一番”精神が下品”な事よ』
と語る笹本さんは、どんなに貧乏しても、自分の体をつくる食事は一番贅沢しなくては、という考えなのだそうです。
笹本さんが著した書籍の中でもこう述べています。

旬のみずみずしい材料を手にして、その味や美しさを生かすように調理し、自然物の命をありがたくいただく――。食事は「生きよう」とする大切な時間。決しておろそかにはしたくないのです。

(『97歳の幸福論。ひとりで楽しく暮らす、5つの秘訣』笹本恒子著 講談社)

そんな笹本さんが30年以上続けていることがあるそうです。

《30年以上続く「毎日メモ」》

「興味を持つ事と探究心を忘れずに。好きなことをずっとやり続けると、ずっと元気でいられますよ」

そう話す笹本さんの毎日はとても規則正しい。
11時に就寝、5時起床。ヨーグルトドリンクで喉を潤し、目薬をさしてシャッキリ、そしてテレビの英会話で頭を起こしていくんだそうです。その後は、TVを見ながら「みんなの体操」をやって体を目覚めさせます。

そしてゆっくりと新聞の朝刊に目を通し、取材したい人や興味のある出来事をスクラップする作業に。好奇心レーダーがとらえたことであればなんでもメモして、スクラップして……。
虹が出たらその絵を描き、料理番組でいい献立があるとレシピをメモし、新しく覚えた英会話のフレーズや俳句や漫画を残しておく事もあるそう。
ちなみに英語は女学生の時に少し習っていたそうで、それからはずっと独学で勉強を続けているそうです。

《いつもニコニコ、哀しいときもニコニコ》

笹本さんが出された本には、辛かったり苦しかったりする日々のことはあまり書かれていません。その理由を尋ねられると「だって人を傷つけることになるのが嫌ですから。愚痴なんて言ってもしょうがないでしょう?」と答えてくれました。

「いつもニコニコ、哀しいときもニコニコ。運も人も、明るいところに集まるのではないでしょうか」

そりゃあ、何度か死んじゃおうと思ったことはありましたよ。浮き沈みももちろん。
でも……自殺をするのは親不孝になる気がしたのよね、最後のところで。親からもらった命ですから。だから生きてきた。
そうしたら101年が経っちゃったわ(笑)

可愛らしい笑顔からは想像できないような、そんな悩みも抱えたことがあると告白してくれた笹本さん、実は写真家になったのは偶然だったというのです。

《写真家になったのは実は偶然》

女学校を出たら花嫁修行するのが当たり前、女性で働く人は家計のためでした。そんな時代に、笹本さんは日本発の女性報道写真家としてデビューし、活躍していったのです。
時代の風潮や性差など、さまざまな障害があったことは想像に難くありません。本当に血の滲むような努力をされたのでしょう。

カメラなんてほとんど持ったことがなかったですよ(笑)
こんなこと言ったら失礼ですけど、当時は絵を描いている人たちは写真のことをバカにしてました。実物そっくりな絵を描いたりしたら、「それじゃあ写真屋の下働きじゃないか」って悪口を言われるくらい。

本当は画家になりたかった笹本さん。当時、毎日新聞の社会面の挿絵を描いていました。
そんな時「日本初の女性報道写真家になってみませんか?油絵を描いているならきっと良い写真が取れますよ」と誘われたのだそうです。そこでアンテナがピンときて、好奇心が湧き出てきたのだといいます。そして「じゃ、やってみよう」と思って始めたのだとか。

《71歳からの再スタート》
一度離れた写真の世界に戻るも、環境が大きく変わる中で、再び写真から離れる事になった笹本さん。
彼女が再び写真の世界に復帰したのは71歳の時でした。それは、多くの同世代がリタイアして余生をゆっくりと楽しみ始める年齢。しかし約20年もの間写真から遠ざかっていた上に、掲載先も写真展の予定もなにもなし。それでもただただ「また写真をやりたい」という思いだけで、6年もの年月ををかけて日本中を駆け巡り、100人近くの明治の女達を取材・撮影してきました。

何かを学ぶにしても、仕事をするにしても、年齢は関係ないでしょう?
私は71歳で写真家の仕事に復帰しても、年齢のことなんて一切言わなかったわ。「自分は何歳だから」と考えて行動するのは好きじゃないの。

《もう100歳って自分に言い聞かせても好奇心が止まらない》

「写真を送ってください」と言われて送るそうですが、毎回、近影写真を送っているのにかかわらず「昔のではなく最近の写真を」と言われることが多いのだそうです。この本の表紙の写真も、もちろん101歳になってから撮影したもの。あまりにも若々しくてビックリです!

100歳の時のインタビューで笹本さんはこう述べています。

「もう100歳って自分に言い聞かせても好奇心が止まらないの」

きっと101歳になった今も同じ答えが返ってくることでしょう。

「好奇心さえあれば、気持ちがあれば、いくつからでも必ず何かが始まるものですよ。せっかく生きているんだし、会いたいと思う人がいればどこにでも行きたいって、私は思っています。死ぬ暇なんてないくらい(笑)」

今年の9月1日で102歳になる笹本恒子さん。
こんなにもパワフルで、チャレンジ精神に長けた101歳、他にいないと思います。
長年の経験と共に培われた彼女のアグレッシブな行動の数々を見ていると、明日からと言わず、今からでも何か始められそうな気がしてきますね。わたしたちも、負けてられません!
笹本さんにはもっと世界を驚かせてくれることでしょう!
(お身体には気を付けて過ごされてくださいね!)

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