阪神・淡路大震災が起きた直後にダイエーが断行したある「支援」→これで被災地の空気は一変した
平成7年(1995年)の1月17日、午前5時46分。兵庫県の淡路島北部を震源としたマグニチュード7.3の直下型地震が起きました。一部の地域では気象庁の観測史上初である震度7を記録します。
阪神・淡路大震災です。
死者数6,434人、行方不明者3人、負傷者43,792人、全半壊家屋274,181棟。焼失家屋約7,500棟、避難者約35万人、停電260万戸、ガス停止86万世帯、断水約130万世帯。戦後最大級の災害です。
ダイエーの行動
そんな阪神・淡路大震災から22年という月日が流れました。
当時被災者の方は失意のどん底に陥っていました。生活必需品の値段はどんどんと上昇して、乾電池が1000円などで売られている状況。
そんな中、大胆な行動で被災地の空気を一変させる企業がありました。その企業とは、「ダイエー」のことです。
(@pxf03241)さんが紹介したこのストーリー。
なぜ、阪神大震災の時のダイエーの行動にみんな触れないんだ?
あの時、乾電池1000円とかになって、絶望的な空気が漂っていたときに、ダイエーは、、、
いったいどのような行動を取ったのでしょうか。
なぜ、阪神大震災の時のダイエーの行動にみんな触れないんだ?
あの時、乾電池1000円とかになって、絶望的な空気が漂っていたときに、ダイエーは船をチャーターして、生活必需品満載で神戸港に横付けして、全国から職員トラック総動員して、「いつもの値段」で災害の奥地まで持って行ったんだぞ!— pxf03241 (@pxf03241) 2017年1月17日
@pxf03241 あれで被災地の空気は一変した。日本人の心に火が付いた。
オレもあれでどれほど力を得たか!
「頑張ろう神戸!」も、あのダイエーをきっかけに生まれたものだと思っている。
毀誉褒貶激しい中内氏とダイエーだけど、あのときの行動だけで歴史上の大きな役割果たしたと思ってる— pxf03241 (@pxf03241) 2017年1月17日
阪神大震災発生時、ダイエーの中内会長は被災地の店舗で食料や日用品を重点的に販売するように指示した。
だたし、必ず有料で無償配布をしないことも厳命した。
理由は「タダにすると必要のないヤツまで商品を受取り、本来必要とする人の手に入らないことが起きる」から。 https://t.co/bJ4Y1AVPvo— 企画屋(日鉄連副会長代理補佐見習) (@team185) 2017年1月17日
素晴らしいエピソードですね。
多くの人がこの行動により救われたことでしょう。たくさんの方に知っておいてもらいたいストーリーです!